hadashiA's blog

ブログがよくわからない

 良い必殺技っていうのは、簡単に真似できそうな感じがしないといけない。
子どもの頃に見た必殺技に、「ライダーキック」というやつがある。これなんかは、ただライダーがキックをするだけ。「ライダーキック!」と、叫びながら、キック。このキックだけは特別なキックなんだって、強く信じて、キック。これだけ。誰だって、形だけは、真似ができた。
ライダーキックっていうのは、つまり、ライダーがただキックするだけなんだけど、めちゃめちゃ痛そう。どちらかというと、キックを繰り出している人よりも、キックを浴びせられた人のほうが、よほど特別なことをしていた。だって、怪人なんて、痛いとか痛くないとかの話じゃなくて、爆発しちゃうからね。あのとき僕はたしかに見た。テレビの中の、キックをされた怪人が、僕達子どもが見逃しちゃうくらいのほんの束の間、悲しそうな表情を浮かべ、次の瞬間、それをかき消すかのような、笑っちゃうくらいの、もう二度と彼は元には戻ってこれないんだなって、今日、一度だけ、この時間にしか出会えない怪人だったんだなって、わかってしまう、そんな、出会いと別れが入り混じったような、ため息がでるほどの、美しい爆発。それを見ながら、僕達は、「ああ、ライダーキックって、理屈とか抜きに、とにかくめちゃくちゃ強いんだな」と、理解する。これは、ライダーキックだけを見ても、なにもわからない。めちゃめちゃ痛がって爆発しきってくれる奴がいてこそ特別なものになる。キックそのものは、「ライダーキック!」て叫びながら、ただキックするだけ。そこが良いんだよな。誰だって、「ライダーキック!」て叫びながら、キックを出すことはできる。なんとなく、必殺技を繰り出したときの自分を想像できる。たとえ、爆発してくれる相手が目の前にいなかったとしても。
複雑すぎて、説明書を見ないと真似ができないような必殺技は、なんか憧れないし、記憶に残らない。誰だって、簡単に心の中で真似できる部分がないと。
真似できるけど真似できない。それが必殺技ってことっすわ。

僕は電子書籍をほぼ買ったことがないし無料で提供されていても全く読まなかったり、紙の本と比べて執着がかなり弱いんですけど、それは何故かというと、やっぱり、死なないからかな。と思う。
たとえば、サバンナでライオンに襲われたら死ぬから、常にライオンの一挙一投足に注意を向ける必要があると思うんですけど、ライオンのデジタルデータがどんなにがんばっても おれを殺せないじゃないですか。もっと言えば、コミックビームの角で頭を全力で殴られたら生存の危機かもしれない。自分の身体と物理的な物との関係は強く持つっていうことが生き残る可能性を上げてるからどうしようもなく紙の本の存在が発する影響がでかいのではないかな。
もしかしたら、インターネットのSNS上とかでなんらかの形で死にかけることによってデジタルコンテンツとの距離がちぢまるかもしれない

ぱんち

きっくぱんち
ぱんち
ぱんちきっく
ぱんちぱんちきっくぱんち
きっくぱんちぱんちきっく
きっく
ぱんち
めつぶし
きっくきっくぱんちぱんちめつぶしきっくきっく
ぱんち。

じゃぶじゃぶ
じゃぶじゃぶストレート
じゃぶじゃぶじゃぶ
じゃぶ
じゃぶでもストレートでもないぱんち
じゃぶ
ストレート
じゃぶじゃぶじゃぶでもストレートでもないぱんち。
じゃぶでもストレートでもじゃぶでもストレートでもないぱんちでもないぱんち

業務日報 2014年3月12日

テニスの試合を皆がやってるとするじゃないですか。
僕はラケットをもってなくて、「元祖天才バカボン」二巻のDVDを右手に持っている。服は一応動きやすい格好をしている。
僕はみんながラケットを持っているのにDVDを持ってきていることを個性的だから良いなと思っていて、自画自賛している。でも、バカボン二巻でボールを 打ったら、バカボン二巻が割れてしまうことを知っているから、絶対に試合には参加しない。でもそのことで悲観したりはしない。むしろ、おれが持っている道 具の方が上だ。と、ラケットを持って必死にボールを追っている人達を見下している。一方で、皆僕のことを嫌いなのでは?と常に心配している。バカボン二巻 しか持ってないから。その不安に耐えるために、ボールを追っている人達のことを見下していないといけない。だから、テニスに参加す るわけにはいかない、本当はテニスをしたいからここに来たし、仲間に入りたいし、テニスのやり方を質問したい。でもできない。バカボン二巻のDVDを捨てることになるのが怖すぎる。まずバカボン二巻を持ってここに来てしまった僕を認めてもら わないと、僕から歩み寄ることができない。だから、僕は、バカボン二巻のDVDでテニスの試合に勝ちたいと思う。対等な条件で試合すらしていないのに、認めてもらうために勝ちたいと思う。
僕は、審判に近づいていって、「一点くれ一点くれ一点くれ」と唱え続けている。まだ一度もボールを打っていない。

て感じの人生なんです。でももうこれやめたいんです。

number girlのOMOIDE IN MY HEADという曲を聴いての感想

 スーパーファミコンでマリオを操っているとき、Yボタンを押しながらマリオを右に進ますと、えらい速く走ることに気づく。そのやり方で走らせていくと、マリオは足の回転が天才すぎて穴に落ちることがある。すごいスピードで画面が右へスクロールしていたのに、その流れが急にストップした、と思ったら、「あ!マリオがいない。マリオが穴に落ちてるっ!」ってなる。当時、個人的に不思議だな、と思ったのは、みんな気づいていると思うけど、マリオはちゃんと前を見てた、ということだ。たとえば、オリンピックを見てたら一人だけめちゃめちゃ足が速い奴がいてびっくりしたと思うけど、彼でさえゴールテープを切った後はちゃんとブレーキをかけていたので偉い。
 ようするに、何が言いたいのかというと、前方にくそでっかい穴があるのに、「GO! GO! GO! GO! GO!……」ってなったまま走っていっちゃう人の気持ち、っていうものが、もしも、本当にあるとしたら、それについて考えてみてほしい。
 マリオ先輩は簡単に言うとトランス状態だった。というか、まったく別の言い方をすれば、number girlOMOIDE IN MY HEADをイヤホンで爆音で聞きながら、マリオは右に走って行ってたんだと思う。そういうふうに解釈したときに見るあのマリオの走りっぷり。あれを聞きながら、パンチなし、キックなしの特別ルールでクリボーを踏んずけてぺっしゃんこにして亀を跳ね飛ばして、ダッシュでマリオはマリオワールドを行ったり来たりしていた。そしてマリオは穴に気づかなかった。


 僕は、最近、通勤中にもっぱらイヤホンで音楽を聞くようになってしまった。電車に乗っているときも、歩いているときもずっと聞いていて、その間、特に何も考えてないよ。
 その日の帰り道も、僕は最寄り駅を出て、徒歩5分の家へ続くほぼ直線の一本道を、いつものように歩いていた。
「まったく、世の中のやつらときたら、バカばっかりだよ!」
 とでも言いたげな横柄な態度で、街をずんずんまっすぐ進んでいた。300メートルくらいは、まっすぐ行った。通行人とすれ違ったり、追い抜いたりしながら、信号は無視しながら行った。300メートル? あるとき僕は、歩くのを止めて、立ち止った。なぜだかはわからないけど、全くいつもと同じ感じで歩いていたはずなのに、知らない場所に立っていたからだ。僕の家は、こんなに遠くない。いつもより歩いたはずなのに、それなのに、家とは全く逆方向の別の場所に立っている。
 僕は、2番出口じゃなくて4番出口を出てしまっていたのだけど、それに気がつかなかった。
 ちょっと僕は、疲れているんだな。と、そのときは思った。でも、本当は、僕は、number girlのOMOIDEIN MY HEADを聞きながらずんずん歩いていたから、目的地とかどうでもよくなっていて、行った。300メートルくらい行った。逆の出口を300メートルくらい行った。本当はもっと行けた。

AチームBチーム

  僕の頭の中は今、AチームとBチームに分かれて活動をしている。Aチームが難しい問題に取りかかり、B チームが日常生活の雑務その他、この道は右へ曲がるか左へ曲がるか等、バカでもわかること全般を担当するという段取りになっている。2チームはそれぞれ平 行して作業にあたっている。しかし、Aチームは、いっちょまえの顔をして真剣に物を考えているように見えるのに、一向に結論を出してくれないため、新しく 答えのない問題が出てくると、手つかずのままどこかへ放っておかれてしまう。そして新しい問題はどんどん増えてゆく。
 Aチームは自分の力だけで考えるし、そのことに誇りを持ってもいるけど、
難しい問題は、答えがない問題だ。Aチームの僕は、『A』と書かれたお揃いのカッコイイ赤いTシャツを着て、非常に難しい顔をしてなにやら議論をしているけど、徹底した秘密主義者の集まりなので、なにをどう考えているのか、答えが出てからでないと教えてくれない。
 一方、Bチームのちょうしはどんどん上がっていって、僕の頭の中は細かいことを処理するだけになっていく。余裕がなくなっていく。このままだと僕は、何ひとつ楽しいことを考えることができない人間になってしまうんじゃないか。責任者でてこい

クソみたいな考え (前編)

 アザラシの生態について。
 アザラシは強くもなく弱くもなく、の水の流れに乗って、かなり楽な姿勢で右から左へ泳ぎます。いつも水玉のパ ジャマを着ています。気に入ってるから。パジャマの背中には、『善良な市民』という文字がプリントされています。楽しそうな顔して、少ない動きでうまく身体の重心を移動させ、両手で水をかくのです。このとき、行きたい方向を自在にコントロールしているように見えるけど、それはウソです。
「右に行っても左に行っても、どっちでも一緒でしょ?」
 と彼らは考えているから、生まれてこの方、自分で行きたい方向を決めたことなんて、本当はないんです。
 アザラシは左に行きたいのに、水の流れが右 だった場合、彼らはどうするのでしょう? ちょっと左に向かって水をかいてみるそぶりを見せるものの、すぐにあきらめて右へ行きます。
「おまえらそれでいいのか?」
 僕は、そんなアザラシを見て、「おまえらそれでいいのか?」と、ずっと思っていました。

 今回、僕は、人生の先輩としてここは1つ、アザラシたちに勉強させてやろう。と思いたち、説教をかますことに決めたのでした。

 水玉のパジャマを着たアザラシが、僕の前にずらりと並んでいます。外は日射しが強いので、アザラシたちは思い思いの帽子をかぶったり、風呂敷を頭に巻いたりして、おでこが乾かないように用心しています。
 事前にアザラシから連絡をもらったところでは、今日は全部で30匹のアザラシがここ、市民体育館に集合する予定だったのですが、時刻を少しまわった時点で、アザラシは17匹しかいませんでした。
「いったいどうなってるんだよ。残りの13匹はどうしちゃったんだよ」
  と、僕は尋ねました。
「あのね、来ようと思ったんだけど、水の流れが逆だった関係でダメだったんだよね」
 との案の定の返事。
 僕は別に、驚かなかったし、17匹も来てくれただけありがたいな、と思い直し、返事をしたアザラシに、ミルキーを1粒与えました。
「これは良いものパウね」と、アザラシに礼を言われました。
 この時点で僕は、今日、何の話をするつもりだったのか忘れてしまいました。